3.特許請求の範囲の書き方 |
その1 |
砂漠を走る船?
民法学者として大変有名な我妻栄という先生がいらっしゃいました。その先生の書かれた本に「民法の道しるべ」という小さな本があります。

この本は、事務所の本棚に置いていたのですが、熱心な愛読者が持っていって今はありません。本屋さんにもお願いしたのですが、絶版で入手できません。したがって、以下の説明は多少不正確なところがあると思いますがお許し下さい。
この本の中に船を定義する話が載っています。国語学者が国語辞典に言葉の定義を置くときの話です。国語辞典は用語の意味を調べるときに使います。
意味が分るということも各種の意味があります。たとえば「男性」という意味を知りたいと思って国語辞典を引くと「女性以外」とあれば、ある意味では大変分りやすい表現です。ところが、「女性」を知らなければ、意味としてはさっぱり分からないものとなります。
ある辞書ではイラストで「男性」の絵が記されていたとします。これも大変分りやすいといえます。ところが、その絵がはげ頭の男性であれば、男性とははげ頭の者と誤解してしまいます。脱線しますが、特許請求の範囲に「図に示す通り」という言葉がはやった時期もあったと聞いています。実施例で発明の説明に使用したその図を指し示して、特許請求の範囲の表現を簡素化(?)するのだそうで、前にお世話になった事務所の所長がそのように書く弁理士さんの明細書をチェックしながらぼやいていました。
結局、ある概念を正確に表現しようとすると、例示的な示し方では問題があります。本質に迫ってその概念の成立する条件を明らかにする必要があります。
我妻先生は、「船には海を走るものの他に、空中を走るもの、砂漠を走るもの等がある。」と説明されています。そして、これらを包括的に表現するのが「船の定義」であるとしてその難しさを説明しています。空中を走るものは飛行船や宇宙船でしょう。でも、私はいまだに「砂漠を走る船」が何であるか分りません。上のイラストはそのような船でないことは確かです。したがって、私は最も広い概念(基本特許)としての船の特許請求の範囲は書けません。
このように見てくると、国語辞典のどれがいい、悪いという評価が決まってくるのが何かわかるような気がします。そして、特許請求の範囲は特別のものではない、国語学者と同じ問題を解決するものだということも分って頂けたと思います。
物事を正確に概念付けて誰が読んでも同じ内容として把握できるものを作るという作業は、明細書書きやさんの特別の仕事ではないのです。特許請求範囲だからこのような特別の表現が許されるとか、こういう書き方にしなければならないということはありません。第三者に概念が正確に伝達される手法をとることが大切です。
以下、当事務所が採用している装置の発明についての特許請求の範囲の書き方を説明します。これは、現在主流となりつつある書き方でもあります。
A特許請求の範囲は構成要件の論理積
ここでは装置の発明についての特許請求の範囲を、以下の書き方で表現することを想定しています。
「Aと、
Bと、
Cと、
……
とを具備することを特徴とするX。」
ここでA、B、C、……は構成要件あるいは構成要素と呼ばれています。Xは発明の名称です。
構成要件については後で説明します。ここでは、特許請求の範囲を構成する1つ1つの部品と思ってください。
構成要件のアンド(論理性)をとって、発明を表現します。これは次のことを意味します。
(1)アンドをとるもの以外は構成要件に加えない。
(2)無闇にアンドをとると特許請求の範囲が狭くなる。
(1)については右の図を見てください。
構成要件同士は論理積をとるという関係で互いに引っ付き合った関係と考えることができます。
自分で特許請求の範囲を書いてみたとき、孤立した構成要件がないか点検してみましょう。
構成要件として書いたけど、他の構成要件と何ら係わりを持たない構成要件(右の図で落っこちた構成要件)は無いでしょうか。このような構成要件があれば、まったく無駄な構成要件といえます。
構成要件として特許請求の範囲に掲げた以上、その「構成要件」があることが発明の条件となりますが、他の構成要件と係わりをもっていないので、本来は発明の成立に不要なものと言えます。このようなものを特許請求の範囲に含めておくことは権利の無駄な限定となります。、
特許請求の範囲を書いたら、ぜひ点検してみてください。
(2)については、下の2つの絵を見て、昔勉強した集合理論を思い浮かべてください。

AとBの論理積(A∩B)(図で円Aと円Bの重複した領域)よりも、AとBに更に構成要件Cを加えた論理積(A∩B∩C)の領域の方が狭くなります。
AとBの論理積で定まった領域に、下の図に星印で示す公知技術が存在するような場合があるとします。
これを除く領域を設定する場合には、更に新たな構成要件を登場させるわけです。

すなわち、構成要件を加えていくことで、発明としての「重複領域」(A∩B∩C)が公知技術の占める範囲から除かれるようにします。
以上は机の上での話です。
実際の特許請求の範囲の作成はそんなに単純なものではありません。各構成要件が1つの平面上に描かれる幾何学的な二次元の図形のような単純なものではないからです。
右の侍が刀を持っている図を見てください。
発明を表わした技術思想とは、提案書や発明の面接時の発明者との話し合いで、なんとなしに実体を把握できる論理的な存在です。
いわば3次元的なものです。上に示したA∩B∩Cのような論理式で表わされる技術思想は、3次元的な技術思想を、刀で切断したときに現われるような2次元平面上の思想に変換したものと考えることもできます。
立体物としての「技術思想」のどの面を切れば、最も明確な技術思想として表現できるかは、多くの経験と勘によるところと考えます(この図でも切断面には多少のまだら模様が現われている程度で、良い切り口とは言えないようです)。
技術思想が明確に表現されない、あるいは公知技術との相違を出すために構成要件を追加したら途端に狭い権利になってしまった、というような場合、特許請求の範囲を新たな方向(切断面)で考える必要がありそうです。1つの発明について各種異なった観点からそれぞれ違った特許請求の範囲を書くことは大変ですが、これができる力あるいは能力を持っていることは特許のプロとして必要なことです。現行の特許法でも、同一の技術思想を異なった観点から特許請求の範囲として複数記載することを認めています。
いわば立体物としての「技術思想」を的確に二次元平面に投影して特許請求の範囲として表現するためには、20歳台等の頭の柔らかいうちに特許事務所や特許請求の範囲を実務的に書いている知財部等に入って、論理思考を磨き上げていく以外にないと私は考えております。
弁理士の増員計画が論議され、弁理士試験を易しくして実務研修の強化で役立つ弁理士を育成するという考えが出ています。しかしながら色々なことを学ばなければならない1〜2年の実務研修程度で、特許請求の範囲を自由に操れるようになる実務を習得することはまず不可能です。論理思考ができる人間であるかどうかを、現場でまず確かめてから弁理士になるのが、将来の道を誤らないためにも大切です。
B構成要件を考えて技術思想を純化する
脱線しました。「無闇にアンドをとると特許請求の範囲が狭くなる」という話をしなければなりません。先の図のA∩Bと、A∩B∩Cを比べると、後の図のA∩B∩Cの方が、該当する領域(特許請求の範囲として請求する領域)が狭くなっています。これに新たな構成要件Dを加えてA∩B∩C∩Dとすると、更に特許請求の範囲として請求する範囲が狭くなります。
したがって、特許請求の範囲を一度書いてみたら、それらすべての構成要件がなければ発明の目的が達成しないか、あるいは先行技術と技術思想上で違いが見出せないのかを考える必要があります。これによって、一番広く取ろうとしている特許請求の範囲から不要な構成要件を削除することができます。
実はこの作業は構成要件を考えて技術思想を純化するという大変重要な作業なのです。現場の技術者でもない弁理士がなぜ他人の発明をより強力な権利に導くことができるのかは、発明者の提案した技術思想の端々を整理して、技術思想を純化し、より強力な特許請求の範囲を表現するテクニックを持っているからです。
発明の輪郭を寄り分かりやすくするために、次の項では私が事務所でいつも例として出す「赤いポスト」の話しをしましょう。